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まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場一覧
※25番札所を月居観音堂とする異説があるが、根拠に乏しく、延享4年に出された案内書の通り、大子永源寺・観音大士としています。また27番は福島の塙ではなく、大子組塙(大子町塙)のことです。常陸観音霊場は水戸藩内に作られたものです。
水戸藩の領域はは福島県内にはない。
※同じ番号の札所は、観音堂が別の場所にあるか、継承寺、代番寺のものです。札所は全部で
41箇所、普通の札所より多くなっています。
なぜこのような間違った異説が出たのかは、前田香径という民俗学者が昭和14年に出した「袋田の山水」という著書によるものらしい。しかし月居観音堂の観音像は元冶甲子の乱の折、信者が山から下ろし、ふもとの龍泰院(曹洞宗)に疎開させた。昭和14年に月居観音堂が再建され、78年間預かっていた観音像が山に戻された年である。龍泰院でも、大子町の資料でも月居山光明寺が常陸観音霊場の札所とは一言も触れていない。
もともと25番は「永源寺」とする延享4年に水戸吉沼観音寺から出された案内書にはっきりと書かれており、なぜこのような間違った説が出たのか不思議である。また塙観音寺を福島の塙町とした間違いは、近くの福島県にあるからという単純な勘違いであり、大子町塙組は、昔から依上保といわれ、奥州との境にあり、重要な地域であった。ここに依上城が築かれたことでもわかる。観音寺はその依上城のすぐわきにあった。
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