まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場
第1番札所 神崎寺(かみさきじ)
笠原山東光院神崎寺
(かさはらさん とうこういん かみさきじ) 真言宗
水戸市天王町8‐17
TEL029‐221‐2748
本尊 十一面観音
御詠歌 松竹の 御代も変わらぬ神崎寺これや誓いの初めなるらん
神崎寺の創建はいつであるかは定かではないが、元亀三年(1572)に宥怒が中興し、その後定亨四年(1687)名僧有賀の時に妙法筒が寺内から掘り出されている。山号笠原山が示すように、古くは子安神社の神宮寺であったらしい。本堂には徳川光圀が自分で刻んだという釈迦如来像が現存する。
「水府地理誌禄」に「鎮守子易大明神 往古は大社にして 神崎寺は当社の神宮寺なる故、正月□観音堂の日、扉早に開く時は世の中安産のもの多しというも、子易大明神によれる説成るべし。」正月に観音堂の扉を開けるが、その時スムーズに開けばその年は安産が多いと伝えられている。
「城北水戸府神崎寺興修因縁記」に「水戸城の南西に教寺あり神先と名づく、観音大士感通の霊場にして真言宗密教伝授の古刹なり、然り而して伝記散失して曲考なし。寺前に老松あり太さ数十囲あまりなり。其の地を神崎と号す。松は久しくして故朽し丁兎の秋に到りて一旦摧仆す・・・」とある。
また「開基帳」(彰考館)に「神崎観音別当真言宗中河内村(水戸市)法幢院末寺 笠原山東光院神崎寺」、元亀三壬申年(1572)宥怒が中興したとある。
ここはまた、北関東36不動尊霊場の27番札所でもある。ほとんどがこちらの札所の参拝である。
観音堂の柱には「常陸三十三観音霊場第一番札所」の看板が架かっている。札所の名前だけは健在である。
先達 寺田弘道
神崎寺観音堂
観音霊場第1番の札
観音堂内部
妙法筒の記述
GPS 36゜22’31.4”N 140゜27’37.0”E