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​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第3番札所 吉沼観音寺 廃寺

 

 正法山福寿院観音寺

 (しょうほうさん ふくじゅいん かんのんじ) 天台宗                     

 

水戸市吉沼町675‐5  観音堂のみ

  本尊 千手観音 

  阿弥陀如来立像 (市指定の文化財)

御詠歌 よし沼や ふみもまよわしおさなきも 道もせんしゅの御手に  

      ひかれて

アクセス バス、水戸駅北口28番のりば、吉沼下車1分

 

  小さな観音堂がある。中世は光明山観音院とし、「水戸十寺の一」に数えられる名刹であっが光圀の時代寛文年間に廃寺となり、その後に川崎から観音寺が移された。

 

    明和元年(1764)には善光寺の出開帳が行われるなど参拝者で大いに賑わった。幕末に火災で焼失した後は仮堂のまま現在にいたっている。本尊の阿弥陀如来は市指定の文化財。

   寛政の三奇人の一人高山彦九郎が寛政2年にここを訪れ、「吉沼村観音堂大也」と北行日記に記している。当時は堂々たる大(たい)廈(か)であったことが知られている。

 

    本尊の木造阿弥陀如来立像は、定朝様式で平安末期か鎌倉初期の作とされ、水戸市の文化財に指定されている。

お堂の中には千手観音が祀られている。

  裏手には無縁佛の墓石を組み重ね転用石として基壇を組み、その上に無縁供養塔が建立されている。宝永六年(1709)11月17日の日付が刻まれた石像阿弥陀三尊像や、享保年代の地蔵菩薩像なども残っており、元禄年代の墓石なども見られる。石塔の中に「奉奇進寶前敷石天井板十四間二世安楽、元禄九丙子歳(1696)浄圓」などが見られる。天井板十四間とはかなり大きい寺であったようだ。ここは門徒寺なので、地域の神社氏子組織の人たちが管理している。また、ここには宝永のころ、馬喰町裏にあった白馬裡寺が常陸太田に曳寺される際に、仁王門をここに移したとされている。

 お前立の千手観音佛は大栄5年(1525)​の造立とあり、本尊の千手観音は恵心の作と伝えられ、秘仏にて住職の僧といえども拝することを得ず。とあったが、焼失して今はない。

    吉沼観音堂

​     千手観音

​ お堂の裏手にある墓石

 阿弥陀如来立像

水戸市文化財指定

「開基帳」によると

天台宗 吉沼村

      天台宗吉田山薬王院末寺

除地無証文

一〇寺内高壱石三斗三升且減候

            阿弥陀院 平僧

  1. 此寺何年以前取立中候然し知不申

    只し傳旦那三人百姓旦那百人

  1. 自跡々 御目見不仕候

  2. とある。

「新編常陸国誌」によれば

除地二石七斗 寺内 正法山光明院と称す。また福寿院、福聚院と称すなり。往古水戸十ケ寺の内にて、水戸城下河崎にあり。浜田村の地なり。本尊の千手観音は恵心の作と云う。秘仏にて住職といえども拝することを得ず。前立の観音の後に銘あり。大永五乙取十一月二八日建立之。檀那天羽肥後守常行沙弥等翁道栄居士と刻せり。本尊は源満中の男源賢阿闍梨少名本丸の葵又丸の守護佛なり。後源頼政に伝わりしが、頼政討死後、下河辺兄弟頼政の遺骨と此像とを笈にして諸国を変遷しが、故ありて當寺に収めしという。

                    先達 寺田弘道

     GPS 36゜21’57.05”N 140゜30’40.7”E

​ 延享4年に出された霊場案内書

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