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まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場

第9番札所 時宗 光明寺

経典山等覺院光明寺 中寺

(きょうてんさん とうがくいん こうみょうじ) (なかでら)  時宗

 ひたちなか市湊泉町6‐25

TEL029‐262‐3879

 本尊 阿弥陀如来 観音堂本尊 聖観音

 御詠歌 ひとすじに おもひきわめて良し悪しの 那珂の湊に舟やつくらん

  光明寺は一遍上人が開祖した藤沢の清浄光寺(遊行寺)を総本山とする時宗の寺である。開基は延文元年(1356南北朝)、時宗の九祖白木上人が常陸遊行の時、経田野(へたの・現在は部田野)の有徳人相阿弥陀佛の帰依を受けて建立、山号は古文書では経田山(きょうでんさん)なのだがいつのまにか経典山に代わっている。初代住職は相阿和尚である。

  しかしお寺の縁起はもっと古く勝田光明寺(勝田光明寺も同じ縁起、山の上時代に分派改宗したと思われる。)の口記によると天仁元年(1108)に真言宗として開基、場所は現在の部田野公民館の北側あたりといわれている。その後応永丙子年(1396室町時代)に湊村地蔵町(山の上)に東台山普賢寺が改宗したので移り、明暦三年(1657 江戸時代)に現在地に移転したものである。元治甲子の乱で堂宇も資料も焼失したが、仏像だけは勇敢な檀徒らにより疎開して難を逃れた。現存する仏像は往時のままで、明治期には寺は再建されている。本堂左の二十三夜尊(勢至菩薩)観音堂には身丈70cmの聖観音と30cmの勢至菩薩がある。奥の厨子の中には黒くすすけた聖観音が安置されている。観音菩薩も勢至菩薩も同じようなので判断が難しいが、合掌をしているのが勢至菩薩だ。仏像修復工房の飯泉太子宗さんに鑑定を依頼したら、いずれもちょっと変わった造りの面白い仏像だそうだ。版木には行基作とあるが、製作時代は江戸時代が多く、観音様は室町あるいはそれ以前かもしれないということであり、作者はいずれも地元の仏師だそうだ。お前立の大きな聖観音は初め十一面観音として造られ、聖観音に直されたものだった。本尊の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代中期の作とみられる。

               先達 寺田弘道

光明寺が最初に開基した経田野

​地蔵町山の上、湊公園

現在地の光明寺

GPS 36゜20.40.03N 140゜35’30.61”E

​昔、地蔵町山の上といわれた現在の湊公園

​  光明寺の縁起を記す古文書

​古文書に描かれた光明寺境内

​観音勢至堂二十三夜尊

​ 本尊の阿弥陀如来坐像

​    聖観音本尊

​     光明寺観音堂と本堂

光明寺が最初に開基した経田野

​    お前立聖観音

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