まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場
第10番札所 照沼 如意輪寺
法幢山鏡福院如意輪寺
(ほうどうさん きょうふくいん にょいりんじ) 真言宗
東海村照沼55
TEL029‐282‐2532
観音堂本尊 如意輪観音
御詠歌 如意輪と きけば心の如くなり 願いをかけて誰も頼まん
真言宗豊山派総本山長谷寺直末。
寺伝によると、延暦十年(791)坂上田村麻呂将軍が東夷征討の砌、この庵舎に立ち寄り、同将軍の守護佛たる如意輪観世音を本尊として安置し、若干の草創料と同将軍の系図等を授与され、大同年中(806~)に創立された。安永年中に火災に罹り、堂宇諸記録等悉く焼失。文化5年(1808)中興第三十一世照範によって再建され、今日に至っている。
不動尊堂は佐竹義久公によって天文年間(1532~)に建立され、寺領三十石を寄進されたと伝えられている。
「開基帳」によると「真言宗醍醐寺三宝院末寺 法幢山鏡福院如意輪寺」とあり、那珂郡誌には、下江戸村の宝泉院の和尚が村松山に百日の参籠をしたときに開いた文和元年(1352)ともいわれている。しかし如意輪寺の歴史は前述のように古く、貞和五年(1349)のころは酒列神社の神宮寺であったようだ。
庭に樹齢四百年ものタブノキ、スジダイの巨木が四本並ぶ。如意輪寺は、かつて海だった真崎浦の南の台地にある。
新編常陸国誌によると、本尊の如意輪観音ハ春日ノ作ニテ坂之上田村麻呂ノ守護本尊ナリト云フ。什物ニ佐竹義久寺領三十石寄附ノ文書、田村麻呂ノ系図、又別那軍新羅王筆ニテ、南無牛頭天王八王子御守護所トカケルアリ、新羅王ノ事ハ流遇編ニ出タリ。とある。
先達 寺田弘道
如意輪観音
如意輪寺本堂
酒烈磯前神社
酒烈神社が最初に鎮座した所、現在の鳥居の左側道路を挟んだ海側
如意輪寺山門
樹齢400年のタブノ木とスジダイ
GPS 36゜31’33.75”N 140゜30’16.79E
坂之上田村麻呂伝説
常陸の国には、坂之上田村麻呂にまつわる伝説が数多く残っている。
延暦15年(796)に陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍を兼任して戦争正面を指揮する官職をすべて合わせ、加えて翌延暦16年(797)には桓武天皇より征夷大将軍に任じられた。田村麻呂は征夷副使の時から奥州遠征に何度も訪れ、そのたびに常陸の国に立ち寄り逗留し奥州への戦いの準備をしたとされる。その際に花園神社を建立したともいわれ、そのほかにも東・西金砂両神社、堅破山、真弓山、武生神社、松倉山清水寺、そのふもとの天白羽神社などの縁起や改築などにもかかわつたとされる。また照沼如意輪寺の如意輪観音は田村麻呂の守り本尊だとも伝えられている。常陸五山といわれる、花園山、堅破山、東金砂山、西金砂山、真弓山は慈覚大師円仁による開山または再興などの山岳信仰も、田村麻呂伝説と重なって伝えられています。