top of page
まぼろしの霊場常陸(水戸)33観音霊場

第11番札所  天神林佐竹寺

 妙福山妙音院佐竹寺                 

 (みょうふくさん みょうおんいん さたけじ        真言宗

 

 常陸太田市天神林町2404

 TEL0294‐72‐2078

観音堂本尊 十一面観音 秘佛

御詠歌 夏来てなほ 茂り添うささ竹の 寺も御法の色になりけり

 

  正徳4年(1714)の記録によると、大同2年(807)徳一大師の草創となっている。また一説では寛和元年(985)に花山天皇の命で元密上人が草創したともいわれている。

  当時は隣村にあり、永延2年(988)には妙音院の勅額を受けている。初めは鶴ケ池(現在は水田)の北側にあって、参詣人は池を舟で渡ったという。茅葺の本堂は国指定、本尊の十一面観音は俗にいう北向き観音である。

  本堂は161.7平方メートルの観音堂で、天文15年(1546)に立てられたものである。寄棟造りで、上層は茅葺、下層は柿葺で、正面中央は唐破風造りである。桃山時代の建立としては、その初期にあたるもので、雄大な美を誇る様式である。

  

  「開基帳」に「當寺本尊十一面観音 坂東順礼札所廿二番也 開基は寛和元乙酉年(985)、本寺は醍醐山三宝院」とある。

  「新編常陸国誌」には「旧ハ上入野村(城里町七会)小松寺也」ともある。天文十二年火災のためすべて焼失。縁起によると、此の時の住職は宥貞であった。天文十五年(1546)に今の地に本堂とも再建された。

  また墓碑によると住職は代々阿闍梨、権大僧都であり、格式も高い方であることがわかる。かつては庫裏、本堂、客殿など整った寺院であった。鎌倉時代になると常陸佐竹の始祖、昌義の帰依を受け寺領三百貫文の地を与えられ、代々佐竹氏の菩提寺として信仰されてきた。佐竹昌義は佐竹寺に参拝した時、長さ二十尋に一節しかない奇竹を見て「これわが出世の前兆なり」と感動して姓を佐竹に改めたという。今でも仁王門、本堂に佐竹の日の丸の軍扇の定紋がつけられている。また本堂には佐竹氏歴代の位牌も安置してある。徳川光圀からも寺領を奇進されている古刹である。

                 先達 寺田弘道

​  佐竹寺本堂 (国指定重要文化財)

​           佐竹寺山門

​佐竹寺の前身、観音山と手前が鶴が池跡

​ GPS 36゜31’33.75”N 140゜30’16.79E

bottom of page