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まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場

第12番札所  長谷 長谷寺

 太平山普門院長谷寺

 (たいへいさん ふもんいん はせでら)  真言宗 廃寺

常陸太田市長谷町346 

観音堂本尊 十一面観音 (存在なし)

御詠歌 吹き落ちる 風さえ向かう長谷寺の 池)の蓮や盛りなるらん

  寺も観音堂も存在しない。

 

  非常に判りずらい場所にある。長谷町のたんぼ道を遡っていくと火の見が見える。火の見の手前を左折すると長谷神社の鳥居である。階段の登り口に法華経塔がある。手前右手の広場は昔池だったところだ。広場の右端に竹を寝かせている小屋があり、その間を山に入ると石仏群がある。これが長谷寺跡だ。広場からは見えない。教えられなければ見落としてしまう。観音堂は初め、高貫山(常陸太田市高貫町)の堂平にあったらしく、大同四年(809)開基、嘉応元年(1169)再興、本尊は行基作と云う。

永享元年(1429)佐竹義人が再建したが、この本尊は徳一作といわれている。

 

  再建の場所は現在の長谷神社入口(池の傍ら)あたりと思われる。当時の別当は本山派修験大先達の蒔田山密蔵院に代わった。

密蔵院は、嘉慶元年(1387)の難台山城の合戦で戦攻をあげた小野崎通郷の二男頼祐に始まる。密蔵院は関東の本山派山伏全体を統率する「八院坊」のひとつで、下住が五十数ケ院もあったという。長谷神社裏200m奥に密蔵院大先達の墓がある

                先達 寺田弘道

​ 藪の裏側にある長谷寺の墓石群

​右手の小屋を入ると墓石群がある

​ 長谷神社拝殿

  火の見が目印、左折

​    鳥居の奥、階段下の法華経等

​神社裏手を入っていくと大先達の墓石群

​GPS 36゜33’17.87”N 140゜33’26.48E

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