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まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場

第15番札所 田尻 観泉寺

 

 清滝山源勝院観泉寺            

 (せいろうさん げんしょういん かんせんじ)   真言宗 廃寺

日立市田尻町4‐39‐1

観音堂本尊 聖観音  磨崖佛 廃寺。

御詠歌 いやしきは猶(なお)も心に後の世の頼みをかけて早苗とるらん

 

田尻小学校の南崖下にある。本尊は度志観音で知られる磨崖佛。観音堂はない。洞窟に掘られているが扉が閉まって居るので見られない。「水府志料」に曲り松岩城街道より東六七町、田尻村境にあり、度志観音の腰掛が松と云うとある。「開基帳」には文明15年(1483)友部村法鷲院末寺として海宥観泉寺引とある。しかし、大雄院の開祖、南極寿星禅師が度志観音の霊験を感じここに参籠され、文明2年(1470)宮田村杉室の地に大雄院を草創したともある。磨崖仏が彫られたのは持統天皇の頃(690年代)といわれている。

また「度志観音は弘仁年中四国讃岐の度志観音同時代弘法大師御建立にて平治元年(1159)に炎上縁起焼失ともある。

 

  「常陸風土記」の「多賀郡」の条に「大海の辺の石壁に、観世音菩薩の像を彫り造りき」とあるが、現在の度志山は大海の辺とは程遠いし、標高も海岸よりかなり高い。

 

  佛が浜の石碑

「佛が浜」には、別説があり、小木津浜の端にある東蓮津橋を渡ったところに十二体観音があり、そこが「大海の辺」とする説もある。郷土史によると、大正時代には、宮田町にある曹洞宗、天童山大雄院の境外仏堂があり、同6年頃から昭和16年ごろまで地元の方が管理していた。とされるが、大雄院では掌握していないという

                  先達 寺田弘道

​磨崖佛窟          壁に描かれた磨崖佛

​   佛ケ浜史跡碑

 田尻観音(観泉寺)、

高台は田尻小学校

 小木津浜、東連津川の橋を渡った突き当たりにある

   もう一つの磨崖佛、ここはすぐ前が浜辺

​ 観泉寺GPS 36゜39’29.72”N 140゜41’34.8”E

 小木津浜磨崖佛 GPS 36゜64’48.78N 140゜69’28.59”E

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