まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場
第19番札所 粟野千手院
粟野千手院 修験 廃寺
((あわの せんじゅいん)
北茨城市中郷町粟野841‐2
観音堂本尊 千手観音
御詠歌 苦を抜きて樂を与えし数々に 千手の御手に暇無かるらん
廃寺だが近年観音堂を再建、お前立千手観音も寄進された。往古の観音は徳一作と云われ、日棚の堂平にあったらしい。またこの観音は大高寺、西明寺と一木で三体作られた中木とも伝えられている。
千手堂について、「松岡地理誌」に「千手観世音長五尺八寸(約174cm)、 堂三間四方 高二丈八尺何人ノ始テ建立スト云事分ラズ、此観音ハ徳一大師一木三体作ノ其中木ナリ、相伝フ古ハ日棚村ノ堂平ニアリシヲ何ツノ頃ニヤ小爰ニ遷スト云。当国巡礼十九番ナリ」とある。この千手観音の別当は、寛文の頃は、長谷村(常陸太田市)密蔵院同行の「泉蔵坊」という山伏だったようである。
千手観音堂 免除地アリ
方面三間、高サ二丈餘、造営年月祥ナラス。
本州巡礼所第19番ニアタル。
別当千手院 同国久慈郡長谷村大先達蜜蔵院ノ末ニシテ、修験タリ。
本尊の千手観音は一時長福寺に移っていたが戻されて現在は御堂の奥に安置されている。
今までこの観音様がどこにあるのか不明だったが、入口の村田仁人さんがこの御堂を管理していて、この奥に安置されていることが判り、今回初めて撮影をさせていただいた。村田さんの先祖は僧侶だったようで、この観音堂を守っていたという。
「松岡地理誌」に粟野千手堂が昔在ったところが記載されている。
日棚村
山ニ属シタル村也。南ハ上手綱、赤浜、東ハ小野矢指、粟野ニ続きキ、西北ハ松井又上手綱ニ接界ス、東西二里余、南北17町程
堂平
此所ニ礎石多クアリ、堂跡ナル故後世地名トスルカ、古ハ千手観世音ノ堂アリシニ何ノ頃ニカ粟野ノ地ヘ曳タル堂跡ナリト里老ノ伝説也。今此地ニ堂跡ト見ヘ左ニ図スル如ク六間四方程ノ内ニ並テ礎石アリ 本堂ノ跡カ 此所ヨリ東西北三方ニ礎石ノ如クナル所十二、三ヵ所アリ 此内ニハ石乱ニナリ或ハ、間々ノ石ナキ所モアリ、 此地今ハ立木モナク平面の野原ナレハ元ノ囲関数積リカタシ。弊大概二町四方許リノ地ナリ、其礎石ニ大小アレドモ皆二尺四、五寸以下ニテ自然ノ山石也。
先達 寺田弘道
粟野千手堂
徳一作一木三体の中木
粟野千手堂の入口
粟野丁字路から入った細い道
中郷工業団地方面Y字路
千手堂への入口
「 松岡地理誌」日棚堂平の千手堂跡地の図
GPS 36゜46’04.73”N 140゜43’11.39”E