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    まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場

第20番札所  長福寺 西明寺代番寺
 

 大塚山清浄院長福寺                        

  (おおつかさん しょうじょういん ちようふくじ)  真言宗
北茨城市磯原町大塚135
EL0293‐42‐0501
西明寺の御本尊 千手観音がある。

  

  長福寺の縁起は、文安元年(1444)二月僧浄円が開山。真言宗山城国醍醐報恩寺の末寺で、一時菅股城主(後に手綱龍子山城主)大塚掃部助の菩提所となり、寺領地高十五石五斗九合を賜わったこともある。この付近の寺院としてはかなり恵まれた大寺院として発展したが、天文年間(1532~55年)衰微していたようである。天文十六年(1548)丁未六月、本寺である報恩院の法令により、海隆和尚が中興開山。爾後寺歴が祥かでない。本尊は延命地蔵菩薩で木像蓮華坐像、定朝の作といわれるが年代は不明。現在の本堂は、寛延二年(江戸時代)に改築したもので、一説には或る年代に移築したとも言われる。
  

  本堂の右に観音堂があり、西明寺から移された大きな千手観音が安置されている。徳一作とされ、一本の木から三体の千手観音像が作られた。

天保十二年(1842)西明寺が廃寺となり、明治五年廃堂により長福寺に移った。

  千手観世音菩薩 木造立像 徳一大師作

 年代同2年(806~810)、長一丈五寸(約315cm)、 徳一大師一木三体の元木ニシテ大同年中徳一大師元ヨリ爰ニ建立スト云。

 この千手観音が元木(一番下の木)である。また粟野千手堂の千手観音も、かつてはここにあったが現在は粟野に返還されている。
永い間ここに2体の観音様が安置されているのが分らなかったが今回の調査でようやくハツキリしたのである。

  このほかに本堂内には

 増長天(毘沙門天)と持国天があり、いずれも木造立像 高さ154cm 平安朝末期(800年前) 作者不詳。元西明寺千手観音の脇侍であつたという。健文化財指定

                      先達 寺田弘道

​     長福寺本堂

​   観音堂

​    西明寺の千手観音

     千手観音の脇侍 増長天と持国天

​ 本尊の延命地蔵

​      徳一大師作が造った一木三体の千手観音

​ 勝田光明寺が引寺をした島崎付近

​ GPS 36゜47’13.55”N 140゜42’42.70E

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