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​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第24番札所  頃藤 長福寺

 

 東勝山長福寺   曹洞宗

 (とうしょうさん ちょうふくじ)

大子町頃藤3357  

TEL0295‐74‐0417

長福寺本尊 釈迦如来

観音堂本尊 十一面観音(長福山観音堂)

御詠歌 名も高き 山に登りて後の世の 齢も長き福を祈らん

 

現在も長福山の中腹に観音堂がある

 

  長福寺の本尊は釈迦如来である。

長福寺は現在曹洞宗だが、元は律宗だった。長元二年(1029)、梅閑律師が長福山に創建。その後文明元年(1469)佐竹氏同族の館城主小川和泉守が常陸太田の耕山寺から大通詮甫を招いて改宗し、翌二年(1470)寺を館城郭内に移し、さらに永正三年(1506)、二世亀山香馨の代に小川義勝と譲って現在の宮平の地に移った。

文正元丙迦の戌年(1466)、野火出来之時御堂本尊共炎上、文明元己丑年(1469)改寺ノ為曹洞宗」とある。

 

  安永六年(1777)正月にも火災で全堂を焼失した。本堂の再建はそれから六年後の天明三年(1783)、山門はそれから二十年後の享和~文化年間に新築したものといわれている。山門は従来茅葺だったが、大正八年(1919)に瓦葺に改修され、この工事を記念して梵證を鋳造した。その後昭和60年に銅板葺に改宗された。山門は三間一戸の二十門。柱は欅丸柱十二本で、柱と柱を頭貫(かしらぬき)で結び、斗栱(ときょう)を組んでいる。二階には高欄の回縁(まわりえん)がある。屋根は入母屋造りで銅板葺である。

観音様は長福山の中腹、観音堂にあったが、現在は失われお堂のみとなっている。

  「水府志料」に長福寺 御朱印には、今于那珂郡頃藤村とあり。委(よ)く栃原の條に出す。とあり、当時は久慈郡でなく、那珂郡に属していたらしい。

                 先達 寺田弘道

​      長福寺の本堂と山門

GPS 36゜43’12.76”N 140゜23’00.38”E

 

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