top of page

​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第27番札所 塙 観音寺

 

 千手院中務山観音寺

 (せんじゅいん ちゅうむさん かんのんじ)   真言宗 廃寺

大子町塙673 

              藤田さん宅裏の畑の中にある

観音堂本尊 不詳

御詠歌 花の輪や巡り巡りて幾度も 妙なる法の春に会うらん

   寺も観音堂も存在しない。墓石群がある。

 

  馬頭街道から曲がりくねった坂を登りきると正面に藤田さん宅が見える。観音寺跡はこの家の後になっている。

  入口に馬頭観音碑があり、そこからあぜ道を進むと、右手の畑の中に7~8個の墓石が整然と並んでいる。

  塙は大子組塙村のこと。福島県の塙町ではない
  観音寺は開基帳に真言宗塙村に大山田村(栃木県)總徳寺末寺 千手院中務山観音寺、文亀三年(1503)の開基とある。観音寺には一石八斗何がしの寄神免と観音免がある。「寄神」は鬼神権現(依上神社のことで観音寺が別当を務めていたようである。)

  墓石には「法印権大僧都寶轉墓」「法印大僧都海常覺位」「宝暦三年(1753)、当山十八宜乗」などとある。

 

  水府志料」には「保内郷 いずれの頃より此称号ありといふ事詳ならず。永正、永禄の比、佐竹義治、義久、岩城政隆よりの状には、寄神保、依神保内、又保内、佐竹家譜に左貫村に末に出す 依上とあり。何れも國郡の事なし。今八溝山鐘の銘 常州八溝山文明戊戌年とあり 及び開田村慶福寺鐘の銘に  此鐘近津明神の鐘なるよし、然るに元禄年中より開田村小平山慶福寺に納  とある。 

  依上(よりがみ)の名は「白川郡の郷名に依上(よりがみ)あり。今に常陸国久慈郡の内に入て保内と云。四十餘箇所あり、中古依上保として保名を以て呼し故に今保内と云。今文字を寄神とも書す。保内を常陸の彊界に敢しは、恐くは白河結城の領地を、永正頃岩城氏攻取、保内の都會、大子の城主芳賀氏をも降参させたりしこと、常陸国誌に載せたり。」とあり、此の地は昔保内と呼ばれていたことがわかる。またこの観音寺に入る左手には依上城址がある。

  その北側と云うから観音寺の左あたりに塙館があったという。そこが塙城址ではないかという説もある。

                先達 寺田弘道

​         観音寺跡の墓石

​  R461号からの入口

​ この間のあぜ道の置く右側

  R461号から望む依上城址

 

​ 依上城址(余語くんのホームページより)

​ GPS 36゜47’05.15”N 140゜18’41.88”E

​依上城址

​依上城址

bottom of page