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​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第28番札所  開田 自在院

 小平山自在院慶福寺(

  こだいらさん じざいいん けいふくじ)   天台宗 廃寺

大子町下金沢1772  山の中にある

観音堂本尊 准胝観音 (現在は性徳寺に安置)

御詠歌 何事も 頼みをかけよ観自在菩薩の誓い新たなるらん

 

  ついに発見! 今まで見つけられなかった自在院跡を発見した。

石碑が無造作にころがっている。「大乗妙典六百七十五部 諶故法印 慶福寺」「権大僧都法印諶照 覺位」これが自在院のものだ。

 

  斉藤リンゴ園から山側に入り高村さん宅の間を抜けると二手に分かれている。右に進み山の奥で右に折れると畑にぶつかる。畑の左側の道を進むと突き当たりに田所家の墓がある。その手前10m程の左側に石塔が転がっている。

 

  自在院は天保期に廃寺となって、本尊の准胝観音は性徳寺に移っている。この観音は日光輪王寺にあったものとされている。昔は北側から登る道があったようだが現在は山になっていて登ることはできない。

 

  江戸時代の案内書には貝田・自在院とあるが貝田は開田村の意味である。

  「水府志料」に「開田村 東西十二町、南北二里五町。古名金沢村、下金沢村。享保六丑年より當名に改る。」とある。

  「開基帳」には「那須(栃木県)法輪寺末寺 小平山自在院慶福寺」とあり、開基は永正三(1506)年。天保期に廃寺となり、観音像は性徳寺に移っている。准胝観音であり、この観音は日光輪王寺にあったといわれている。

  しかし、「慶福寺」の名は永享の頃、芦野倉で木澤源右衛門が慶福寺阿弥陀堂を建立とあり、また依上の候では、開田村小平山慶福寺鐘とあるが経緯は不明。

 

  ようやく見つけた。20数年前ガイドブックを書いた榎本實さんが見つけて以来、だれも発見できなかった。しかも榎本さんが見つけたのは法華経塔だけで、ほかのは見つけられなかった。おそらくこの山の持主が、畑を開墾する時に一カ所にまとめて置いたのではないだろうか。関心のない人には、ただの石碑にしか思われず、その価値がどんなものかもわからなかったのではないだろうか。

  ガイドブックでは手書きの簡単な地図というか絵図みたいで、現地を特定できるものは何もなく、性徳寺の住職さえわからないでいた。榎本さんの発見当時はまだ山の状態であったようだ。そこからは依上小学校とその脇にある羽黒山が見渡せた。と書いてある。現在は木が大きくなり完全な森になっていて、周りは一切見えない

その貴重な発見も榎本さんただ一人だけで、他には誰も判らなかったようだ。

  私が見つけたのは真冬だったので、周りの草も伸びていなかったのが幸いした。春を過ぎれば草に覆われて発見することは至難の業となるだろう。石碑は全部ひっくり返っていて、半分以上土に埋もれた状態なのだったが、令和3年5月に性徳寺の高野住職が、散乱していた墓石を集め整備していただきました。

​ まだまだ整備を必要としています。現在これら整備の浄財を募集しています。性徳寺さんへお願いします

                   先達 寺田弘道

​   これが自在院跡の墓石群

大乗妙典讀誦六百七十五部

​諶故法印 慶福寺

​7

​権大僧都法印諶照 覺位

​6

​突き当たり手前トタンの後ろ側

​4

​   この左側を入る

​5

​ 高村さん宅の間を抜ける

​2

​ 五百町橋を渡る

​橋を渡って少し登る

​真ん中の木の後ろ側

​3

​斉藤リンゴ園前を入る

令和3年5月、散乱していた墓石を、性徳寺の高野住職が

 きれいに一つにまとめて整備されました。

 また整備中、昔の山門後も発見されています。

​ まだまだ整備が必要です。現在これらの整備の浄財を募集しています。性徳寺さんへお願いします。

 叉編集してください。

​ GPS 36゜46’26.42”N 140゜17’38.22”E

依上小学校(右)、先の左が五百町橋、突当たりが羽黒山

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