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​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第29番札所 馬頭 乾徳寺

        帝釈寺の代番寺

 

大渓院龍沢山乾徳寺

(たいけいいんりゅうたくさんけんとくじ)        曹洞宗 

 

栃木県那須郡那珂川町馬頭114

TEL0287‐92‐2247

 

  乾徳寺は武茂城主の菩提寺で、千鳥破風の山門は武茂城大手門を移築したと伝えられている。室町時代の様式をとどめ、武茂氏の家紋である三巴紋が残っている。(武茂城跡は山門向かって左側の山一帯の根古屋が城跡として残っている。正応永仁(1288年)伏見桃山時代、武茂泰宗が築城した。泰宗武茂庄十余郷を領して武茂氏となる。応永14年(1407)武茂氏一旦断絶する。寛正4年(1463)宇都宮正綱の三男兼綱が武茂氏を相続し、一万石の領主となる。宇都宮兼綱明応八年(1499)、舜芳和尚(常陸太田市耕山寺十一世)を招き乾徳寺を建立開山し、菩提寺とした。武茂氏歴代の墓石が当山墓地中央にある。明治36年、町内よりの飛び火に不慮の火災に遭い七堂伽藍ことごとく灰燼となる。同44年当山41世保寿代、8年の歳月をもって現在の本堂及び開山堂が再建される。

  帝釈寺から移された観音様は失われているが代番寺としての御朱印は戴ける。

 

   乾徳寺は武茂家歴代の菩提寺として庇護され慈々も興隆したが、守綱の代に佐竹氏の配下となり、豊綱の代の文禄三年(1594)太閤検地の際、久慈郡大賀村に地行替えになる。佐竹氏の秋田移封に武茂氏も随行したため、一時庇護者を失い衰退したが、江戸時代に入ると幕府から二十七石の朱印状を賜わり再建されている。境内には武茂家の墓碑と伝わる鎌倉時代以降の五輪塔や宝篋印塔などが残されている。

 

  近年馬頭院にあった観音・勢至菩薩が乾徳寺のものとわかり、返還されている。(帝釈寺のものかも)

  勢至菩薩と聖観音菩薩の二体。

宝冠に特徴的な飾りがあり、非常に珍しい仏像である。

               先達 寺田弘道

​    乾徳寺本堂とのぼり藤

​   勢至菩薩(左)と聖観音菩薩(右)

​武茂家ゆかりの千鳥破風山門

​    住職の芸術的な御朱印

   乾徳寺は広重美術館の後ろにある

 GPS 36゜44’28.17”N 140゜10’18.55”E

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