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​まぼろしの霊場・常陸三十三観音霊場

第30番札所  馬頭院

武茂山十輪寺馬頭院

(ぶもさんじゅうりんじばとういん)        真言宗

栃木県那珂川町馬頭188 

TEL 0287‐92‐2603

観音堂本尊 馬頭観音

御詠歌 地蔵院 聞けば涙も先立ちて我子ここに見るここちして

 

  寺誌によれば建保五年(1217)京都醍醐寺第二十七代座主光宝法印大和尚(中納言藤原光雅の息子)の開創という。光宝大和尚 東国巡錫の折、この武茂の地を選び柳、枝垂桜を御手植えされ、御堂を建立し、延命地蔵菩薩(県重要文化財)を安置し、勝軍山十輪寺地蔵院を開く。正和元年(1312)醍醐報恩院派、光範僧正は京都より、伏見院御震翰紺紙金字泥八巻を当山に奉納し、その御威光により、荒廃せる伽藍等を再興す。

 

  天和元年(1681)水戸光圀公が当山を訪れ、伏見院御震翰を鑑定。元禄五年(1692)に再度訪れ、十万石の格式を与え、朱印寺とされた。その時より、光圀公の命により当山、馬頭観世音を本尊とし、延命地蔵尊を脇士と定め、武茂山十輪寺馬頭院と改めた。光圀は参詣の記念として「枝垂れ栗」(県天然記念物)を植樹された。

  馬頭観世音堂内には 不動明王、毘沙門天、秩父三十四観音等が安置されている。当山は真言宗智山派に属し、総本山は知恩院(京都市東山十条)である。また別説によれば「将軍山十輪寺地蔵院」の開基は光範上人 正和壬子元年(1312)建立とあり、地蔵院は将軍山の山号の通り、将軍地蔵をお祀りしたものという。将軍とは、悪行煩悩の軍に勝つという意味で、その名から戦勝をもたらすと中世武士の信仰を得た。民間信仰における将軍地蔵は愛宕権現の本地佛としてで、火除けの神としての信仰が厚い。

  地蔵院は初め光宝塚(現在地の向こう側)の麓にあったが、天正五年(1577)に現在地に移り、その後武茂氏が馬頭観音堂を建てたと伝えられている。

  境内には光圀公が常陸国多賀郡から移植されたというシダレグリの古木(県指定)がある。通称三度栗といわれているが、三度とは「たくさん」という意味で、小粒ながら沢山なるから三度栗の名がある。一年に3回結実するわけはではない。

                先達 寺田弘道

       馬頭院観音堂

​      本尊の馬頭観音

​      しだれ栗

​      馬頭院入口

​ GPS 36゜44’21.78”N 140゜10’00.44”E

伏見院御宸翰2.png

伏見院の御宸翰

​紺紙金字泥法華経8巻

伏見天皇の自筆の経巻

紺紙に金文字で書かれた法華経の一部と

光圀が同行して鑑定させた法橋牛庵の鑑定書

​ NHKのロケの際、特別に御開帳いただきました。

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